Raining Day 3






次の日、蓮が出社した時、社は不思議そうな顔をした。

「また、不思議な夢でも見られましたか。」
「なぜ?」
「朝私のスケージュールを聞いて下さるとき、社長の表情がそんなに柔和だった事はありません。」
「そうかな?」
「そうです。」
「そうだね、不思議な夢を、見たよ。そうだ、社さん・・・、キョーコ、という名の少女を知りませんか?」
「さぁ・・・知りませんが・・・。その不思議な夢にはキョーコさんが出ていらっしゃるのですね?プライベートタイム、増やしましょうか?もう少し、その不思議な夢に長く浸っていらした方が、会社のためにも、私のためにも良さそうです。」
「くすくす・・・そうかな。そんなにいつも不満そう?」
「いえ。そうではありませんが。楽しそうな御様子でいらっしゃるので・・・。」
「そうだね、面白いよ。」

蓮が車を降りると、昨日の残り雨がまださらさらと降っている。

「雨、か・・・。」
「傘はどうされましたか?」
「あぁ、部屋に置いてきてしまったな。」

蓮がそう言うと、社が傘を開き、蓮を入れた。蓮の方が背が高いから、蓮が傘の柄を持つ。

社の正面玄関を通ろうとすると、女子社員が輪を作っていた。

「どうした?」
「社長、おはようございます。」
「おはようございます!!」

皆が振り向き、挨拶をした。

「おはよう。」
「コレ・・・。」

見ると、雨に濡れて薄汚れた子猫が、全身でみいみい鳴いている。

「可愛がってあげてください、って書いてあるんです。でも・・・会社では飼えませんし・・・。」

女子社員が皆寄ってたかってそう言った。
蓮が「可愛いね」、と言ってにっこり笑うと、女子社員は猫から社長へと視線が移動する。

一人冷静な社が、

「それは可哀想だけど、保健所に連絡を入れて置くように。」

と指示をした。女子社員たちは当然そう言われるのを分かってはいたが、残念そうな顔をした。

「社さん・・・ウチで飼いますよ。」
「え・・・?社長?」
「保健所なんて可哀想だ。」
「でも・・・。」

社が戸惑っている間に、蓮はその輪の中に入り込むと屈み、箱の中から鳴いている猫を抱き上げた。猫は、抱き上げた蓮の顔を見て、蓮のスーツに顔を擦り付け、必死に鳴いた。

「おなか、減っただろう?今洗って綺麗にしてあげよう。何か食べものを買わせるから、もう少しの我慢だよ。」
「社長、スーツが・・・。」
「大丈夫だよ・・・スーツ一着ぐらい。・・そういえば・・・くすくすくす・・・。」

蓮は、キョーコを抱えて濡れたスーツもある事を思い出した。そして、無理やりキョーコに手渡されたクリーニング代を返すのを忘れていたと思った。

そして、この雨に濡れて汚れた猫を抱き上げながら、またキョーコを思い出した。

「最近雨の日は変わった拾い物をしてばかりだな。」

蓮が、珍しく心から可笑しそうにクスクス笑ったのを見て、女子社員達は皆驚き、各々が本気でドキリ、と胸を高鳴らせた。


*****

 
蓮がその猫を連れて廊下を歩くと、朝の挨拶をしていく他の社員がねずみ色の猫に気付き、驚いたように不思議そうな顔をした。

蓮は自室に着くとすぐに社長室の横にある給湯室の水場で格闘していた。

「こら、暴れるなっ・・・つぅ、痛いだろう。」

綺麗に洗ってあげようとしているだけなのだが、水が苦手なのだろう、蓮が綺麗に洗って、だいぶ綺麗になった後、更に綺麗にと思って洗っていたら暴れて引っ掛かれた。

「まったく・・・。」

だいぶ綺麗になったその猫は、ねずみ色から真っ白でさらさらの毛並みになった。蓮はタオルドライをしながら何とは無しに微笑む。

「ふ・・・・。」
「社長、名前、決めたのですか?」
「いや・・・・。」

雨に濡れて鳴いていたこの猫の、仕草も性格も、出会いも、何もかもが夢の中の女の子のようだったから、キョーコとでも名づけようかと思ったが、よく見たらこの猫はオスだった。

「決まってないですよ。」

社長室はその日、猫の餌でいっぱいになった。心配した女子社員があちらこちらで買い、そして、「注射と手術をした方が」と言った。まだ生まれたてだと誰かが言ったから、ミルクを与えてみた。

蓮は猫を腕に抱き、食事をして眠そうな猫を、机の上の柔らかなタオルの中に置くと、会議の為に立ち上がった。


*****


その晩、猫を連れて帰宅のために運転していると、助手席に置いた猫籠の中から、夕飯時のせいか、よく鳴く声が聞こえていた。

「元気になってよかったよ。」

猫にそう話しかけると、猫はまた可愛らしく「にゃあ」と鳴いた。

そして、自宅近くまで来て、今は雨が降っていないのに、今日も少しスピードを落とした自分に気づいて、少し笑った。

部屋の玄関前にもあの少女は居なかった。
 

テーブルの上には猫が入っていた段ボール箱が置いてある。せめてもの償いだったのだろうか、猫用の鈴が入っていた。ダンボールの切れ端に書かれている、雨で滲んだ「可愛がってあげてください」の文字が目に入る。

「またっていうのはいつ来るんだろうな?それとも・・・お前があの子だったのか?」

良く考えたら自分は本当にあの子の携帯ナンバーすら知らない。
自分の両手に収まるぐらいの大きさでしかない猫に向かって、一人、普通に話しかける自分に気づく。猫から答えが出るわけでもない。この二日、家の中が賑やかだったから、三日目の今日も賑やかにしたかったのかもしれなかった。

それでも猫が理解しているはずも無いのに、にゃあ、と鳴いたから、蓮はその猫をオスだけれども「キョーコ」と名づけようか、と思った。


その大きな丸い目が、蓮を捉えて、遊んで、と目で訴えた。
社が用意した遊び道具で遊んでやると、それはムキになって猫パンチを繰り返し、あの子をこうしてからかってもムキになりそうだと思い、思わず笑みがこぼれる。


「おやすみ、キョーコ。」

猫をナイトテーブルの上に寝かしつける。
猫は目を細めて、蓮の手に顔をすりつけ、喉を鳴らした。


蓮にとって、珍しく、よく眠れない晩になった。











2007.11.03